富雄の歴史
わが社は奈良市の「富雄(とみお)」という駅の近くにあります。大阪府との府県境である生駒山の麓です。
古事記や日本書紀から登場するんです。
奈良県内には、大和朝廷、飛鳥時代や奈良時代の歴史的ゆかりの地が至るところにあります。そのなかでも、富雄や生駒山が最初に登場するのは、なんと!、古事記や日本書紀、神話の時代です。いわゆる「神武東遷」、日本の初代天皇である神武天皇が日向をでられて、「四方を青山に囲まれた美しい地」大和に都を定めようとされたときの戦いの舞台になります。
鵄(とび)→鳥見(とみ)→富雄(とみお)に。
神武天皇は生駒山を越えて大和に入ろうとされましたが、長髄彦(ナガスネヒコ)に阻まれます。そこでいったん退却、熊野から八咫烏の先導などで迂回してきたものの再び長髄彦に苦戦。ところが、金色の鵄(とび)が飛来し神武の弓にとまり、長髄彦の軍が目がくらんで戦えなくなったので、それを機に戦況を立て直すことができました。
このことからその地は鵄邑(とびのむら)といわれるようになった、という神話です。鵄(とび)→鳥見(とみ)→富雄(とみお)となったといわれています。
この、古代日本の出発点にあたる歴史ある地で商売を営めることを誇りに思い、世の中のお役に立てるように努めていきたいと思っております。